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【登山ガイドたより】2号

あの歩き方は…、し、師匠!
先週末、私が1年お世話になった登山教室の講師である小日向先生を高尾山口駅で偶然お見掛けしたのです。

そんなことがありまして10年近くぶりに師匠とGWに山歩きをする機会に恵まれました。
師匠のホームグラウンドである鎌倉の人が知らないハイキングコースを伝授して頂いたのです。歩いてみるとまさに秘境の趣!
すぐ近くに一般のハイキングコースがあるとは思えません。面白いので秋に鎌倉秘境の山歩きイベントを開催することに決めました。
その後、観光パンフレットには載っていない108やぐらも訪れました。コースから少し外れた場所に108体の石像があるのですが、首がすべて持ち去れています。戦中の廃仏毀釈の名残なのです。負の遺産と言っても過言ではありません。石像をよく見ると金剛杵を逆手に持っています。弘法大師の像です。仏像は持っているモノや手のカタチ、衣服でそれが誰であるかをある程度特定できるのです。

そして、1体だけ顔が残っている仏像がありました。それを見て違和感を覚えたのですが知識不足で理由がすぐに分かりませんでした。自宅に帰り書籍をひも解いてようやくその意味が分かりました。仏像は如来でした。如来とは悟りを開いた仏のことです。仏には三十二相と呼ばれる特徴があります。さらに左手には薬壺(やっこ)と呼ばれる薬の入った壺を持っていました。これは薬師如来の特徴ですが、右手の印だけが違っていました。それが違和感の正体です。

思惟手(しゆいしゅ)という印を結んでいました。思惟手は悟りを開く前の菩薩が結ぶ印です。通常、薬師如来の手は「恐れなくても良い」という意味の施無畏印というカタチになっています。
108やぐらの薬師如来像は菩薩の思惟手の印を結んでいたのです。「人々を救う方法を考えている」という意味の印です。
人々の手で首を打ち落とされた108体の仏像の中で、どうやって人を救えばいいのか考えあぐねている如来像の姿は私に何か訴えかけるものがありました。