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【横浜道】浅間下から吉田橋

横浜港が開かれたのは1859年。江戸に外国船を入れることをためらった幕府は当時ひなびた漁村であった横浜を交易の場としました。東海道から横浜港までの交通路として横浜道が出来たのです。

旅の始まりは横浜駅から。10番乗り場より浅間下を通るバスに乗りました。浅間下を通るバスは他の乗り場からも頻繁に出ています。

横浜道に入る前にちょっと寄り道です。東海道添いには神社仏閣が多いですがここも例に漏れず浅間神社(せんげんじんじゃ)があるのです。バス停近くにある参道はマンションの敷地を通ります。不思議な作り。

細い急な階段を登り切ると突如として浅間神社が現れます。富士山信仰の神社で御祭神は木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)となっています。縁起は平安時代。この場所は小高い丘になっており横穴古墳が見つかっています。昔の有力者のお墓の上に建っている神社なのです。

フェンス越しに遠くを眺めるとビルの合間からランドマークタワーが見えました。遡ること200年、ビル群もなくここから東京湾と富士の姿も見る事ができたのではないかと拝察します。

 

旧東海道を越えて横浜道へ入ります。横浜駅に戻っていく感じですね。平沼橋が見えてきました。現在は大通りとなっていますが、当時は海岸線の道でした。現在はだいぶ埋め立てられて海からは遠ざかっています。

平沼橋を渡り、右手の階段を降りると平沼商店街となります。

 

平沼商店街には古い看板建築が残っていました。看板建築とは木造住宅の正面にモルタル加工を施し洋風見せかけて作られた建物をいいます。関東大震災以後より個人商店に多く見られ、職人さんによって様々な仕上げ方があるので見ていて楽しい建物です。

京急線の高架下を潜り歩いていくと別の看板建築に出会いました。和洋折衷のお菓子屋さんです。創業明治33年と看板にあります。老舗ですね。店内に入ると焼き菓子やまんじゅうが並べられています。50年前のレシピで作り続けているシナモンドーナツが気になりましたが生憎もう売り切れていました。

敷島橋近くの花壇の縁に腰掛けて買ったばかりのまんじゅうを頂きます。まんじゅうはいきものなので買ったら即食べる一択です。

粒あんとこしあんを食べ比べましたが甲乙付けがたいですね。あんこが優しい甘さで美味しいです。蒸したてはもっと美味しそうだなと思いました。温泉地へ行きたい。

岩亀横丁と呼ばれた場所に残るお稲荷様です。岩亀楼という遊郭の寮がこの辺りにあって遊女がよくお参りに来たそうです。遊郭はなくなりましたが神社はこうして残っているんですね。家と家の隙間に参道があり、入っていいのかと思うような場所です。おやしろは綺麗に掃除されていて地元の方に大切にされていることが伝わりました。

井伊直弼像がある掃部山公園(かもんやまこうえん)の石垣です。何のことはない石垣ですが、明治5年に御雇外国人の指導のもと積まれた西洋式の石積みとなっています。平成8年に災害防止の目的で一度積み直しが行われています。

山手地区界隈はこの方式の石積みが多くあり、ブラフ積みと呼ばれています。

 

神奈川奉行所の跡地は神奈川県青少年センターとなっており図書館や能楽堂が建っています。立派なクスノキがありました。

開国当時は5名の外国奉行が兼帯で奉行所を取り仕切っていました。前例のない任務な上、外国人と直接話したがらない老中各位から仕事丸投げで発足当初はかなり苦労したようです。

立派な社殿を抱える伊勢山皇大神宮です。横浜総鎮守、神奈川のお伊勢さまと親しまれておりますが明治3年創建と比較的最近できた神社となります。御祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)ですが、境内には豊受姫(とようけびめ)や大物主神(おおものぬしのかみ)他色々な神様がおりました。

大物主神はおやしろがなく、岩にしめ縄がかけてありました。巨石や巨木を信仰するものは歴史が古く私たちがまだ言葉をもたないの頃の神様とも言われます。ここにある巨石は本山の三輪山から運び込まれたと説明されていました。

横浜道を関内駅方面に歩くと野毛にたどり着きました。職人の技を感じる看板建築を発見。柱廊様式を意識したのか両脇は柱のようなモルタル加工になっています。真ん中にメダリオンまで!見様見真似のオリジナリティに痺れます。

都橋商店街です。川に沿って建てられたアーチ状のアパートになります。戦後には靴屋が多く入っていたようですが、今はほぼ飲み屋となっています。8畳くらいの狭いお店がひしめき合っております。

野毛はのんべぇの聖地と呼ばれている場所で、駅前ビルのぴあシティ地下は立ち飲み屋が乱立しています。立ち飲みで昼から飲み始め、都橋方面に流れていく。5、6件ハシゴする人も多い場所です。

ゴールは関内駅です。吉田橋関門跡に案内板があり、吉田橋の移ろいを動画で見る事ができます。今は商業ビルが立ち並ぶこの場所も明治大正は洋風建築が次々と建てられ日本に生まれたプチ海外といった感じでした。
Youtube 吉田橋今昔物語


【まとめ】
横浜は移り変わりが激しい街なので当時の建物は中々残っていませんが、神社仏閣などはそのままの場所にありました。今はコロナ禍で誰かと出掛けることも少なくなっていますけれども、散歩であれば1人でも気軽に出来ますのでおすすめです。

横浜道を歩くのに横浜市資源リサイクル事業協同組合の冊子が役に立ちました。
リサイクルデザイン横浜道を歩いてみよう!